1966年7月生。オハイオ州クリーブランド出身。いわずと知れた、フィリー・ソウルの雄、オージェイズ(The O'Jays)のエディー・リヴァート(Eddie Levert)の息子である。
弟のショーン(Sean Levert)、彼らの母親の友人の子どもであったマーク・ゴードン(Mark Gordon)とリヴァート(Levert)を結成。デビュー曲「Pop,Pop,Pop,Pop(Goes My Mind)」がいきなりR&Bチャートを制覇。2ndアルバムにも収録の「Casanova」が、ポップ・チャートでも5位を記録するなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍ぶりであった。(詳細はリヴァートの項参照)
ジェラルドのソロ活動と同時に、シーンへの影響を出すスタイルは減少し、古いソウル、歌を聴かせるプロデューサーへと昇華(このあたりについては、“シーンについていけなくなった”という考え方もあるらしいが、筆者はこの意見に反対)。グループ、ソロ以外にもプロデュース・ワークにも大いに力を注いでいる。エドウィン“トニー”ニコラス(Edwin“Tony”Nicholas)とコンビを組み、ドラマ(Drama)、J.リトル(J.Little)、メン・アット・ラージ(Men At Large)などの作品を手がける。数を上げていくときりがない。
また、97年には、キース・スウェット(Keith Sweat)、ジョニー・ギル(Johnny Gill)とLSGを結成。スーパー・グループと呼ばれるにふさわしいセルフタイトルのヴォーカル・アルバムとなった。
よく、「ジェラルド作品には駄作がない」と言われているが、まさしくそうだと筆者も声を大にして叫びたい。この作品でも安定したクオリティの楽曲を提供している。いつも水準の高い作品を作り続けるアーティストである。
21世紀に入っても、その制作意欲は衰えることなく、毎年コンスタントにソロ・アルバムを仕上げていった。他アーティストへのプロデュース業などで大忙しのハズなのに、このワーカホリックぶり。これには脱帽である。
2006年11月10日、クリーヴランドにて、心臓発作。南アフリカから帰国した10日後、急逝であった。享年40歳。早すぎる偉大な才能の逝去を惜しむ。
逝去後、2007年7月のブラック・エンターテインメント・テレビジョン・アワードにて、パパであるエディが、グラディス・ナイト(Gladys Knight)、パティ・ラベル(Patti LaBelle)、ヨランダ・アダムス(Yolanda Adams)らと、ジェラルドの楽曲である「Wind Beneath My Wings」を歌い、その想いを語った。もちろん盟友キース・スウェットは、ライブでジェラルドのメドレーなどを披露するなど、彼の偉業を称えるアーティストは多くいた。その中でも、地元オハイオのミュージシャンたちがトリビュートライブを行うことがあるという記事を見かけると、心底愛されていたことが分かる。後世に語り継がれるミュージシャンであったことは間違いない。
(2005.11.18/2006.11.15/2026.02.07 )













