1973年7月、ジョージア州カスバード(Cuthbert,GA)生まれ。本名:ジョー・ルイス・トーマス(Joe Lewis Thomas)。州境の地らしく、両親はアラバマ州オペライカ(Opelika,AL)の教会で聖職者として働いていた。10代半ばにして、その教会の聖歌隊のディレクターに就任。しかしながら、世俗音楽への憧れがあり、ニュージャージーへ移住することになる。
ゴスペル専門のレコードショップで働いているうちに、キース・ミラー(Keith Mille)[*1]、ヴィンセント・ハーバート(Vincent Herbert)と邂逅。彼らの力もあり、マーキューリーと契約。93年アルバム『Everthing』でデビューする。シングル「I'm In LUV」がヒットするも、アルバム自体は…2万7,000枚しか売れなかった。
マーキューリーとの契約は切られるも、裏方として活躍(ハイ・ファイヴのリード:トニー・トンプソン(Tony Thompson)のソロ・アルバムなど)。そのような環境でも、自身で歌っていくことも地道に続けていた結果、95年「All The Things」がアイランドのA&Rの耳にはいり、映画のサントラ『Don't Be A Menace』に収録される。この曲がじわじわ浸透し、ついには96年のR&Bエアプレイ・チャートを制してしまう。ここからジョー(Joe Thomas)の地位が確立された。
97年、ジャイブ・レコードから『All That I Am』をリリース。プラチナム・アルバムとなる。2000年リリースの3rd『My Name Is Joe』は、「I Wanna Know」が全米チャート4位を記録したこともあり、トリプル・プラチナムとなった。さらに翌年には、テディー・ライリー(Teddy Riley)と組んだ「Stutter」がUS、R&Bともにチャート制覇。ついにポップ・スターへ登りつめた。
4th『Better Days』、5th『And Then...』ともに、セールスはゴールド止まりだったが、ソウル・ファンには作品的にニヤリとしたはず。この2作はセールスよりもジョーがやりたかったことが詰め込まれているように思える。
アンダードッグス(The Underdogs)やティム&ボブ(TimKelley & Bob Robinson)、ブライアン・マイケル・コックス(Bryan Michael Cox)を招いた6th『Ain't Nothin' Like Me』は全米チャート初登場2位。それでありながら、内容は3rdほどポップにはならずに楽しめる。これこそがジョーの真骨頂なのだろう。
2007年にジャイヴを去り、キダー・マッセンバーグ(Kedar Massenburg)のもとへ。キダー・エンターテインメントより7th『New Man』、8th『Signature』をリリースしている。この8thは実にメロウな作風になっており、女性ファンをさらに獲得したと言われている。
その後も活動は順調そのもの。11年に9th『The Good,The Bad,The Sexy』、13年に10th『Doubleback Evolution of R&B』と続けてリリースできるのも、キダーが気持ちよく活動をさせてくれているからではなかったのだろうか。しかし、ついにその蜜月が終焉し、14年リリースの11th『Bridges』はBMGからの配給になっている。キダーと離れたとはいえ、内容は充実。ビルボードTop200でも17位を記録した。
16年には『My Name Is JOE』の続編として『My Name Is Joe Thomas』を制作。R&Bアルバムチャートで初登場第1位を飾った。大人気だった作風を、新しいプロデューサーなどの力も借りつつ再現したことで、多くのリスナーからの支持を得た。
その後の活動はライブが中心となっている。毎年40公演前後を、国内を中心にヨーロッパなどでも開催している。よく来日もしてくれて、日本でも人気のアーティストであることがわかる[*2]。特に前出「I Wanna Know」の大合唱は有名である。『My Name Is Joe Thomas』を制作した際に、音楽業界からの引退という話も出ていただけに、ライブ活動を継続してくれていることは、新しい作品はなくともありがたいことである。
(2005.11.21/2011.04.09/2026.02.23)
[*1]ハイ・ファイヴ(Hi-Five)「Never Should've Let You Go」をプロデュース。
[*2]日本ではDVDのライヴ盤『Live From Japan』もリリースされている。














