デトロイト(Detroit,MI)出身。6歳の頃に、自宅でJBの曲を歌っていたところ、それを見た姉のイレインが、「お母さんの前で歌ってみなさい」と言い、母親の前で歌ってみせた。母親もその才能を大きく認めた。それがきっかけとなり、翌年にはTVにも出演。ブレンダ・ラッセル(Brenda Russell)の前座で歌っていた。この時点でレコード会社からのオファーもあったそうだが、「彼自身がその道に進みたいかどうか判断できる年齢になるまで待つべき」という母の判断で、デビューには至らなかった。
本人は歌の世界を目指す心はかわらなかった。10代でドゥワップ・グループに入り、地元のタレント・コンテストでは何度も優勝。ドラマティックス(The Dramatics)のツアーや、ファンカデリック(Funkadelic)のレコーディングなどにも参加した。更なる飛躍を目指し、80年代中期にロスに移住。ジャスソンズ(The Jacksons)やミキ・ハワード(Miki Howard)のコーラスなどに参加した。89年にはレーベルと契約するもデビューにいたることはなかった。
しかしながら、フレディ・ジャクソン(Frediie Jackson)のアルバム『Don't Let Love Slip Away』の中で、共作した「Hey Lover」がR&Bチャートを征し、ようやくその名前が浸透して行く。その勢いでようやくレコード会社と契約。自由に制作できそうだということと、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)がいるという点からクエストを選択した。91年、満を持して1st『Make Time For Love』をリリース。70万枚を超える売上げを記録した。
そうなれば色々と話は生まれてくるもの。映画「Poetic Justice」や昼ドラ「General Hospital」にも出演した。本業でも93年に2nd『You Make It Easy』をリリース。「Stay In My Corner」などのヒット曲も生み出した。
ところが時は男性ソロ・アーティストの受難の時代。彼のような歌で勝負するアーティストは、数字が伸びていかなかった。その結果、1996年には一度歌の世界を離れることを決意。カナダ・トロント(Toronto)でソウル・フード・レストランを始めた。
引退した形をとっていたが、彼を説得した人物がルイル・サイラス Jr.(Louis Silas,Jr.)。アーティストとしてリスタートを切った。98年には3rd『K.W.』をリリース。シングル「Bring It On」がR&B22位を記録している。しかし、サイラス・レコード(Silas Records)は、親会社MCAの再編の影響を受け、レーベルが消失。またしても音楽活動を止めざるを得ない状況となった。
21世紀に入ると、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)を演じる「My Brother Marvin」など、ミュージカル系の舞台に出演していた。また現在の奥様とは不倫の末に結婚。2009年、その全貌を前妻に暴露本[*1]を出版されるなど、音楽活動以外の面で目立ってしまっているようだ。しかし、現在の奥様がデトロイトのFM曲“Kiss-FM”のマネージャーであったことから、同局の番組を担当。その中で新しいアルバムの作成についても語っていたが、リリースされず。12年にシングル「Thinkin Bout You」というスロウのみが配信されている。
その後は地元デトロイトでの活動が中心ではありながら、ライブも継続。26年には、代表曲「Kissing You」をアップに仕上げたリミックスを配信している。
(2006.12.24/2015.01.01/2026.03.10)
[*1]キースとの結婚生活や不倫問題をモデルにした内容と言われている書籍である『The Other Side of Through』のこと。あくまでも暴露本との推測であるということらしい。




