ニューヨーク出身。80年代中期、17歳の頃に、ソフィスティケイティド・ジェンツ(The Sophisticated Gents)というグループに在籍し、そのキャリアをスタート。90年にアンドレ・ハレル(Andre Harrell)のアップタウン(Uptown Records)から、ソロデビューを果たす。当時のアップタウンはガイ(Guy)の勢いをそのままに、どんどん新しい音を発信していく最先端のポジションにいた。ジェフもそのソウルフルな歌声とヒップホップとの融合を果たしつつ、ニュージャックの次を使命と与えられたデビューとなり、相当の期待を掛けられていたと考えられる。
しかし、デビューから3枚ものシングル(「I Found Lovin’」「Come and Get Your Lovin’」「Love High」)をリリースするも、数字的な成果は得られず。デヴァンテ・スウィング(DeVante Swing)やデイヴ“ジャム”ホール(Dave “Jam” Hall )らを起用した1st『Quiet Storm』も、R&Bチャートでも40位と振るわなかった。また、翌年にサウンド・トラック『Strictly Business』に参加し、「You Calld & Told Me」を提供するも、こちらもR&B63位と結果が出なかった。
ところで、同じサントラでデビューを飾ったのはメアリー・J・ブライジ(Mary J.Blige)だった。彼女のデビューのきっかけは、メアリーの母親の再婚相手がジェフと知り合いで、「Caught Up In The Rapture」が吹き込まれたあの有名なデモテープを、ジェフがアンドレ・ハレルに渡したことから始まった。ジェフのコーラスにも参加したメアリーが、皮肉にも彼を追い越して大成功してしまうという結果となり、当時はさぞ悔しい思いをしたのではないだろうか。さらに追い討ちをかけるように、アップタウンは、メアリーやジョデシー(Jodeci)に力を注ぐこととなり、ジェフは影を潜めてしまう。
復活をかけてEMIへ移籍。94年に2nd『Down Low』を吹き込んだ。しかし、ここでも不運が襲う。リリース直前に回収になってしまうのだ。かろうじて世の中に流通したのが 約1,000枚ほどと言われ、この皿はコレクターズ・アイテムとして10万円の値が付くほどまでになってしまった。
その後MCAのA&Rに転身。ケイシー&ジョジョ(K-Ci&Jojo)やボビー・ブラウン(Bobby Brown)らを支えた。自身のレコード会社(Sol Real Music, LLC)を立ち上げたのが2007年で、ここから少しずつ表舞台に戻ってくる。09年にはシングル「Take You Higher」をリリースした。
10年に様々なアーティストが入ったサンプラー『Jeff Redd Presents “The Essence of Soul”』なるものをリリース。また、2015年には「You’re My Love」というシングルをデジタル配信。本人曰く、「これはハウスだ」といっているようだが、活動し続けてくれることが何よりである。
24年のインタビュー記事[*1]で、自身が卒業した高校があるマウンドバーノン市(Mount Vernon)で教育委員会の理事を3年務めたとある。その中で以下のように語っている。
もっと自分の意見を主張し、音楽に関わる機会をもっと追求できたらよかったと思います。音楽業界のビジネスを学んでいれば、ビジネス契約や音楽業界についてもっと知識を得ることができたでしょう。そうすれば、その後の人生をもっとうまく乗り越えられたはずです。
これは、苦労してきたジェフだからこその、心からの言葉だと感じる。
(2015.10.25/2026.02.22)
[*1]「Mount Vernon City School District」Webサイトより。



